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88.お経を“読む”

その他

私は昨今の日本人らしく、特定の宗教を強く信仰するといったことはしておりません。
 
どんな神様に対しても『まぁ、居るんじゃない?』といった認識です。
 
ですが、おそらく、かなり仏教寄りの人間なのだろうと思っています。
 
というのも、学生時代は仏教校に通っており、社会人になってからも同様の教育機関と暫く関わりを持っていたからです。
 
また、実家にいた頃は親族の行事でお寺に足を運んだり、お坊さんを家に招いたりすることも年に数回ありました。
 
お寺の雰囲気やお坊さんの袈裟、経を読む声や鐘の音は、私にとって幼少期より慣れ親しんだもの。
 
社会人となった今でも、空で唱えることができるお経があります。
 
そして、今でも時々、お経を読むのです。
 
 
 
 
仏様のためとか、信仰心を高めるためとか、そういった目的では全くもってありません。
 
元々は学生時代に、「お経は発声練習になるよ」「だからお坊さんは声がいいんだよ」と宗教(科目)の先生に言われたことがはじまりです。
 
私たちはその言葉を受けて、合唱コンクールの前にノリノリでお経を読んでいました。
 
大人になってからも、カラオケの前日などに発声練習として読むと非常に声が出しやすくなると感じています。
 
また、運動不足を自覚したときに読むと、腹筋が眠い目を擦りながら起床してくれるのを感じます。
 
ごめん、仏様。
 
でも、本当に助かってるんだ。
 
 
 
 
ところが、いつからか、不意に「お経を読みたい」と感じるようになりました。
 
なんだかうまくいかないときや、モヤモヤしているとき、不安なときなんかに読むとスッキリするのです。
 
前述の通り、私は熱い信仰心を持っているわけではありません。
 
なので、単純に深呼吸のような発声を繰り返すことによって、思考が整うのだと思っています。
 
ただ、こう言うとちょっとスピリチュアルな話になってしまうのですが……
 
お経を読むと、よくないものが離れていくような感覚があるのも事実です。
 
 
 
 
そして、先日。
 
その日は夕飯の支度をしているときも、お風呂に入っているときも、なぜか頭にお経が浮かんでいました。
 
ここしばらく実用的にも精神的にも機会がなく、数ヶ月間読んでいなかったことを思い出した私は、お風呂上がりに手を合わせることに。
 
リビングでお経を数行読んだとき、私はハッと目を開きました。
 
カーテンの隙間から見える外の景色が、赤かったのです。
 
『火事!?』
 
『いや、……緊急車両のランプ?』
 
慌ててベランダに出てみると、マンションの下に消防車と救急車が並んで赤いランプを光らせていました。
 
サイレンの音は聞こえてきません。
 
おそらく少し前から、建物内で人命救助が行われていたのでしょう。
 
なんだか、狐につままれたような心地でした。
 
まさにスピリチュアルな出来事が私の身に起こっていたのです。
 
まるで建物内のざわつきが、数ヶ月ぶりのお経を求めているようでした。
 
部屋に入ってから少し様子を見ましたが、緊急車両に動きはありません。
 
私は改めてお経を読みはじめました。
 
1度読み終えて2度目に差し掛かったとき、緊急車両がサイレンを鳴らして離れていく音が聞こえてきます。
 
名前も知らない住人を応援する気持ちをこめて、私は2度目の回向を祈りました。

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