~「お金を使う感覚」への多角的な考察と、過去の自分の伏線回収~
「お金を使うのって、楽しいじゃないですか」
平日も休日もお構いなしでコラボカフェに通い詰めていた頃。
当時勤めていた会社の同僚にこんなことを言われました。
その人も私と同様にソシャゲをやりつつコラボカフェに通ったりグッズを購入するタイプの推し活民でした。
私達以外にも何かしらの推し活に勤しむ人が多い職場だったので、仕事中も推し活絡みの話をする機会があり、その最中のことだったと思います。
確か私と先輩のコラボカフェ散財っぷりに対してのひとことでした。
あれを買った、あのライブに行った、あのカフェでドリファイしたなどと話していたら、「大丈夫ですか」と声をかけられたのです。
一体何を心配されているのかと首をかしげる私と先輩に、少し素っ気ない態度で彼女はそう告げました。
このひとことが、私は数年経った今でも忘れられないのです。
お金を使うことは、楽しいことなのでしょうか?
少し調べてみると、ドーパミンが出るだとか、社会とのコミュニケーションだとか、ストレスや不安が紛れるとか、様々な話に行き当たります。
消費とドーパミンの関係性についてはよく耳にしますが、その他は結構ばらばらで。
シチュエーションやその人の置かれた環境によって“楽しい”の方向性が変わるのだろうなと感じました。
その中で私が気になったのは、「今ある状況をコントロールする感覚になれる」というもの。
メインブログ「1.600万円を発見した話」で書いた“選択への渇望”を思い出したのです。
確かに当時の私には、欲や衝動を自覚しながら身を任せるという選択することが度々ありました。
むしろ、その瞬間にその選択を失わないように日頃の生活では節約をしていたのです。
だから、その選択を実現できた瞬間に楽しさを感じるのは当然と言えば当然でした。
ですが、節約家という視点でお話すると、お金を使うことは苦痛であると言われたほうが腑に落ちます。
選択して使うことには快感を覚えても、純粋にお金を使うこと自体は喜ばしくないのが節約家の性です。
事前に『コラボカフェでドリファイするぞ』とか『高級桃パフェを食べるぞ』と心に決めておかなければ、出費に至る前に挫折してしまいます。
当時の私だって、出費を惜しまないと決めた推し活でなければ楽しく散財報告会なんてしていなかったでしょう。
同じような話は、資産形成界隈や蓄財関連のコンテンツで頻繁に目にします。
「何千万貯めても減るのが怖くて使えない」
「資産形成のために我慢しすぎてしまう」
「貯めたお金を寿命までに使い切るなんて不可能だ」
去年、資産が数百万円だった頃、私自身も何度もお金を使うために膨らんだ期待や楽しみがしぼんでいくのを体験しました。
そして、ぼーっと生きていたら、お金を使ったささやかな楽しみが自分の人生から零れ落ちていくと感じたのです。
だから今年は、これまで当たり前のように避けてきた季節のパフェや外食に少しずつ挑戦していこうとしていたりします。
結局、お金を使うことは楽しい側面と苦しい側面の両方があるのだと思います。
ただ、ここで重要なのは、どちらにせよ“お金を使う”という行動そのものが楽しさや苦しさを感じさせる存在であるということです。
例えば“休日は引きこもりたい”、“休日はパフェを食べに行きたい”というふたつの選択肢がある時に、その選択の皿の上に“お金を使う”という要素も乗るのです。
『お金を使いたくないから引きこもろう』という選択も間違いではないけれど、無意識にしなくてもいい我慢をして経験の機会を逃しているかもしれない。
反対に、『お金を使いたいからパフェを食べに行こう』という選択も間違いではないけれど、お金を使いたいだけならもっといい選択があるかもしれない。
「お金を使うのって、楽しいじゃないですか」
その言葉は、私が選択をするたび考える視点をひとつ増やしてくれたのです。
218.お金を使うことは楽しい?
お金

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