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217.その情報、信用できる?身近な関係ほど判断が曇りがち

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~「誰が言ったか」という引力と、複雑な人間関係で試される主体性~

『この人の言う事だから信用できる』
 
新しい情報を得たときに、そう思うことはありませんか?
 
YouTubeやネットの情報に日頃から触れているならば、必ず通る道かもしれません。
 
登録者数が多いから信用できる。
 
閲覧数が多いから信用できる。
 
これらは、その情報が信用できるものかどうかを判断するにあたって、非常に重要な視点だと思います。
 
一方で、有名人が嘘をつかないわけではないことも私たちは知っています。
 
むしろ、嘘を演出することで人々を楽しませることが彼らの生業と言えなくもありません。
 
また、本人に嘘をつく気がなくとも結果的にそうなってしまうことがある、ということもご存知の方は多いでしょう。
 
だからこそ、いかなる情報に関しても客席から立ち上がり舞台に登るのであれば、自分の頭で考えた上で、額に免責事項を貼り付ける必要があるのです。
 
 
 
 
インフルエンサーや芸能人、政治家など有名人の話であれば、私たちはある程度俯瞰した視点を持つことができます。
 
しかし、身近な人間関係ではどうでしょうか。
 
上司や社長の発言は?
 
仲の良い友人の発言は?
 
親の発言、子の発言は?
 
これらはネット情報や有名人のゴシップと異なり、自分たちの生活に直結しています。
 
それなのに、発言者が身近であればあるほど正しいかどうかの判断は困難になると私は考えています。
 
 
 
 
例えば、人当たりが良くて業績も素晴らしく、皆に好かれている上司Aがいたとしましょう。
 
反対に、ろくにコミュニケーションをとらず黙々と業務をこなしており、パッとした成果も出したことのない上司Bがいたとします。
 
仕事でアドバイスを貰うにしても、プライベートで相談事を持ちかけるにしても、上司Aを頼る人が多いはずです。
 
しかし、上司Aは所謂天才肌で、常人がどこで躓いているのかさっぱり理解できず、内心では周囲の人間を馬鹿にしているかもしれません。
 
一方、上司Bは派手な成果をあげてはいないものの、会社にとって重要な仕事を受け持っているのかもしれません。
 
そして、相談を持ちかければ真摯に向き合ってくれる人柄かもしれません。
 
この2人の上司が正反対の意見を述べたら、部下たちは正常な判断ができるでしょうか。
 
見ている人は見ていると思いたいところですが、現実は難しいものです。
 
 
 
 
発言には話し手と聞き手が存在しますが、その内容が中身のある情報であればあるほど、その影響の範囲は広がります。
 
話し手から得た情報を聞き手がどう処理するかを見ているのは、話し手だけではありません。
 
だからこそ、聞き手の判断も“情報の真偽”より“話し手の信頼度”を優先したものになるのでしょう。
 
仏教で言うところの網の目のように、人と人との関係は繋がり合っています。
 
それは、“有名人の情報と自分”というシンプルな図式と比べものにならないほど複雑な関係です。
 
私たちは無意識に様々なことに気を取られ、流れ流されて最もそれらしい判断をしてしまいがちになるのです。
 
たとえ誰からも支持されていない個人の意見でも、たとえ自分の嫌いな相手の意見でも、“だから間違っている”ということではないのだと心に留めておきたいものです。
 
勿論、日頃から他人に信用されたり、人に好かれる振る舞いをしていること自体は、しっかりと評価されるべきだとも思います。

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