【トラックと魔法の鍵】
トラックを運転している。
交差点を曲がった公園の手前で止めて降りると、バスの運転手に「トラックが邪魔で交差点を曲がれない」と言われた。
私は鍵を片手に「ちいさくなーれ!」と唱えて、バスを手のひらサイズにした。
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夢の世界での万能感ってなんなのでしょうね。
夢の中で、“うまく歩けない”とか“うまく飛べない”など、行動に制限を感じることもある一方で、私はこの夢のように念じれば通ずの精神で乗り越えることが多々あります。
強烈に願えば思い通りになるというのは、まさに夢の世界です。
現実もそれくらい自由に動かせたらいいのに。
それに加えて、自分ではなく相手を手のひらサイズにしてしまう傲慢さが、我ながらいいなと思いました。
もしこれが現実なら、私は相手の反応を気にして自分を変える方向で解決方法を模索したでしょう。
これでも一応、社会人なので。
Geminiの見解ですが、このように述べていました。
“この夢は、現実で直面するであろう自身の責任や、影響力から生じる問題に対し、論理的な対処法(運転し直す)だけでなく、想像力と独創性(魔法の言葉)という非凡な力で問題を根本から解決できるという、強い自己肯定感を描いています。”
いや、そんなわけ。
想像力と独創性で解決できる事象なんて、世の中にそう多く転がっていないでしょうに。
そして、私は自己肯定感があまり高い人間ではありません。
自分が積み上げたものに関しては当然高いけれど、積み上げていない事柄が多すぎて世間一般には満たないと認識しているというか。
自分のコントロールできる範囲内の自分は好きだけれど、他者との関わりや社会との関わりの中にいる自分は塵芥と考えている節があります。
楽しく1000万円を貯めたことや、そこに至る精神性は褒められるべきだけれど、年収が低いことや社会性に乏しいことは致命的で。
家族という最小単位のコミュニティですら維持できない欠陥品で。
こんなふうに“わかっているつもり”でいることこそが自己の矮小さを表しており、こうやって説明していることこそが保身であると。
ただ「私なんて」と言うと、「そんなことないよ」待ちのようで我ながら不快だから言わないだけ。
自分の気持ちいい範囲で他人を助けて悦に入るけれど、できるだけ責任は取りたくないし、責められたくもない。
そういう自分を世間はきっと好ましく思わないし、自分でもどうかと思うけれど、私は自分が可愛いので日常的に心身を削ってまで他人を優先する予定はない。
多分こういった考えって、中学生や高校生くらいのときに多くの人が通るものだと思うんですけど、その先に至る社会性をまだ得てないんです。
他者から認められる経験を積み重ねると進めるのかなとは思うのですが、未だにないので否定巡りを始めると止まりません。
ただ、“「問題の大きさは自分の捉え方次第で変えられる」という、あなたの心の奥底にある自信と、「困難を楽しみながら乗り越えることができる」という、ポジティブなメッセージ”という言葉にはしっくりきました。
それは、多分ある。
資産形成に関してもそうですし、これまでの人生を振り返っても同じようなことが言えます。
問題の大きさは捉え方次第だし、困難に対しての取り組みは良し悪しはあれど最終的に楽しんできました。
まぁ捉え方次第とは言え、捉えさせた存在を私がどう扱うかは別の問題なんですけどね。
160.トラックを運転している夢
夢日記

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