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154.ふるさと納税の心理的落とし穴

お金

節約を志す人々の間で、今や常識となりつつある、ふるさと納税。
 
しかし、ふるさと納税には節約家だからこそ直面してしまう落とし穴があると、私は考えています。
 
手続きを忘れてしまうとか、控除できる金額をオーバーしてしまうとか、そういった話ではありません。
 
もっと目に見えない、心理学的なお話です。
 
私の趣味(お金✕心理学)丸出しの話題ですが、ぜひお付き合いください。
 
 
 
 
昨年と今年、ふるさと納税をやってみて私が実感した落とし穴。
 
それは、ふるさと納税の返礼品を選ぶことで自分自身が“買うモード”に入ってしまうことです。
 
寄付をした直後、ついでと言わんばかりにおすすめ一覧をスクロールしているのは、私だけではないはず。
 
楽天とAmazonとヨドバシとメルカリの価格を比較し始め、気づけば深夜になっていたり。
 
最終的に『店舗でも見てみよう』と決め、後日『やっぱ買わなくてもなんとかなるか』と考え直したりしませんでしたか?
 
ふるさと納税では、私のような収入の少な目な人でも3万円近くの返礼品を選ぶことになります。
 
普段節約しているからこそ、これだけの金額を支払って生活必需品以外の物を買うという体験は強い刺激となるのです。
 
 
 
 
ここからは、3つのメカニズムをもとに、もう少し詳しく考えていきましょう。
 
 
 
 
■1 心理的会計の境界が迷子
 
人は、お金を“生活費”、“娯楽費”、“貯金”などといった心の口座に分けて管理しているそうです。
 
(リチャード・セイラーという教授によって提唱された概念。)
 
ふるさと納税は“税金”という口座に分類されますが、これは“義務的支出”です。
 
つまり、“必要経費”というやつです。
 
“娯楽費”の口座から数万円出すのは抵抗があっても、“税金”の口座から数万円動かすのは『仕方ない』と捉える人がほとんどでしょう。
 
しかし、ここで高額決済という行為を行うと、脳内で口座の境界線が曖昧になってしまいます。
 
その結果、他の口座──娯楽費などからもお金を出しやすい支出許容状態が作られてしまうのです。
 
 
 
 
■2 特異的支出による参照点の移動(アンカリング効果の変容)
 
普段の100円単位の節約は、脳にとっての支出の基準値(参照点)を低く設定しています。
 
『お菓子に出せるのは100円前後だから、250円のヤンヤンつけボーは高いな』とか。
 
『最低賃金1226円だから、600円のランダムグッズを16個買うと1日分のバイト代が飛ぶな』とか。
 
誰しも無意識に、自分の物差しを携えて買い物をしているのです。
 
しかし、3万円という大きな支出をすると、一時的にこの参照点が跳ね上がってしまいます。
 
つまり、『3万円の返礼品に比べたら1万円の円盤は安い』と錯覚してしまうのです。
 
これにより、普段なら躊躇する金額の商品を見ても、大した金額ではないと感じられるようになります。
 
 
 
 
■3 セルフコントロールの電池切れとドーパミン
 
節約は心理的にセルフコントロールを激しく消耗する作業です。
 
デフォルトで節約機能が搭載されている私のような人間であっても、慣れているというだけで、自分の欲を引き止める瞬間は多々あります。
 
普段から節約している人ほど、脳の我慢するエネルギーを使っているのです。
 
そんな状態で、ふるさと納税という“正当な理由のある大きな支出”が実行されたら、どうなるでしょうか。
 
そもそも返礼品を選ぶという行為は、未来の報酬を期待させるため、脳の報酬系を強く刺激します。
 
ソシャゲのガチャと同じですね。
 
そして寄付を実行した瞬間、放出されたドーパミンが最高潮に高まり、「もっと刺激を!」と脳を促すのです。
 
その結果、これまで張り詰めていたセルフコントロールの糸がプツンと切れてしまい、反動で他の欲求まで爆発しやすくなります。
 
さらに言うと、ついでに“ディドロ効果”(新しい持ち物に合わせて、他のものも新調したくなる心理)まで誘発することもあったりなかったり。
 
 
 
 
心理的罠、張り巡らされすぎではありませんか?
 
これで“買うモード”に入らないなんてこと、あるのかな。
 
ついで買いの罠にかからないようにするには、自分が寄付直後にハイになっていることを自覚することが大切です。
 
​『今は参照点がバグってるな』
 
『セルフコントロールのMP切れてるな』
 
そんなふうに客観視できれば、いつもの“必要な物を見極められる自分”に戻れるかもしれません。
 
​せっかくのお得な制度、ふるさと納税。
 
落とし穴に気をつけて、最大限楽しんでいきたいですね。

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